皆様 初めまして!ちー坊と夏のオーナーです。この度阿波岐原町で夫婦で飲食店を無事に開業することになりました。開業にあたる理由はいろいろあるのですが一番の理由は、二人とも食べることが大好きなことです。食というものに昔から関心があり、とくに宮崎にあるおいしいお店屋さんには沢山行かせていただきました。また私は前職サラリーマンをしておりサラリーマン時代に大阪府 鹿児島県での勤務を経験、その前の学生時代も千葉県 福島県で数年過ごしそれなりにおいしいものを食べて来させていただきました。宮崎だけでなく日本にはおいしい食べ物がたくさんあります。しかし、そのような中でも自然豊かな宮崎県の食べ物は群を抜いてると思います。県外に行かれた方は多少共感していただけるのではないかと思います。その宮崎の食材をふんだんに使った料理を贅沢に提供させていただきたいと考えておりますので、いましばらく開店までお待ちいただけると幸いです。
普通の人間の感覚であれば、おいしいものを食べたらまず「おしいい、これを〇〇さんに食べさせてあげたい」と思いますよね。 ※〇〇さん→自分の身近な大事な人家族両親、、 そして自分の身近な人大事な人たちに食べさせることができたら今度は、同僚 友人 ご近所さん クラスメート、、などのお知り合いの方にも教えたくなりますよね。そのあと、、、です。私たちは、身近な人だけでなく宮崎を愛する人全員においしい料理をふるまいたいと考えておりました。その結果飲食店の開業にたどり着いた次第です。食を通じて宮崎県が少しでも豊かになれるように微力ながら貢献できるように頑張っていきたいと思います。
テイクアウトピザ
「ちー坊と夏って何の店?」「ちー坊って誰?」「秋になってもちー坊と夏なの?」、、いろいろ最近このようなご質問をいただく機会が多くなりました。それもそのはずです。最初我々は、ビュッフェレストランを開業しようと、計画をしておりました。しかし、予算の都合、不動産の立地広さの問題等、、紆余曲折を経て、「テイクアウトピザ」の店というコンセプトにたどり着きました。ピザお惣菜といろいろ扱いますが、当店が一番力を入れる商品はピザですよ!!
結論を一言で言いますと、
「ちー坊と夏」は、、、、、
「ピザ屋」です!!
自然豊かな宮崎の誇る、食材を思う存分楽しんでいただけるピザを提供したいと思います。そして、我々の店舗は、宮崎市内でも有数の緑の多い、阿波岐原町にお店を構えましたので、阿波岐原町の自然を思う存分、食とともに堪能して頂ければと思います。
案内動画
フィンガーフード
「フィンガーフード」という言葉を最近耳にしたことはないですか?フィンガーフードとは、その名の通り、手でつまんで食べる料理のことを言います。代表的なものですとサンドウィッチなどです。焼き鳥も理屈上当てはまると思います。発祥はもともとスペインでビールやワインといったアルコールとともに楽しめる料理を食べやすい様にパンの上に食材を刺して提供したものが始まりと言われております。
我々の店舗の立地上、おそらくご来店されるお客様のほとんどが車で来られると思われます。
(免許センター近いです。免許更新の時はよろしくお願いします(笑)
車内でテイクアウトの食事をとられる方も多いと思います。、そのようなとき手がべとべとするのは気持ち悪いですよね!
そいったところに配慮した袋詰め、盛り付け、配置、を考慮した料理を多数用意させていただきますので、どうぞお気軽にお立ち寄りください。またお飲み物、デザートも多数ご用意させていただく予定です✨
お惣菜販売(主婦の味方のお惣菜屋さん)
皆様の食卓に欲しい「後1品」のお惣菜を作っていこうと思います。また我が家も例外ではないのですが、家族のためにおいしいご飯を作りたい!と思ってはいるものの、、中々ねーー(笑)そんな主婦の方が自宅で作る手間暇のかかるものをここで購入いただけるように主婦の方の手助けになるような品揃えを心がけていこうと思います。
宮崎市には令和6年9月現在、39万人強の人が住んでおります。また我々の店舗「ちー坊と夏」がある阿波岐原町付近(吉村町 阿波岐原町 新別府町)だけでも20,000人強の人がお住まいになられています。20,000人って、私が住んでる新富町よりはるかに多く、隣町の高鍋町 西都市 と同規模の人々があの狭い地域に密集して住まれている。しかしそんなたくさんの人がいながら、エリア内にスーパーは「ショッピングのだ」様だけしかないわけです。少し車を走らせれば、イオン宮崎 マルミヤ吉村店、等あります。しかし私の吉村町に住む知人に聞くと、割と買い物難民の方が多いといわれておりました。ということで、店舗の近所に住まれてる方のためにもお惣菜の販売をやろうと、家内と話をして決意した理由であります。飲食店の営業は初めてでうまくできるかは心配ですが、一生懸命おいしいお惣菜を作って、販売させていただこうと思ってますのでもしよければご利用いただけると幸いです。
↑「夏も愛したやさしいポトフ」
↑「シェフ自慢のガーリックスペアリブ」
↑「ちー坊も病みつきのから揚げ」
オーナーの経歴
昭和54年11月生まれ。宮崎県都城市にて出生。
幼稚園の年中時に宮崎市佐土原町大字上田島に父の仕事で引っ越し。
佐土原小学校へ入学、小学校時代は自分で言うのもあれですが、割と勉強できるまじめな児童だったと思います(笑)。小学校3年生の時にボーイスカウトへ入り、6年生まで地域のボランティア活動などに積極的に参加。小学校5年生の時にサッカーのスポーツ少年団が地元に発足し入部。小学校4年~地元の夏祭りにも積極的に参加。そのまま佐土原中学校へ進学、サッカー同好会へ入部。佐土原の幼馴染とはいまだにだんじり担いだり飲みに行ったりする仲。そして中学校3年生1学期の開始前に、父の仕事の影響で宮崎市船塚地区へ家族で引っ越し、同時に佐土原中→宮崎西中へ転校。転校した最初の1か月は友達が一人もできず、昼休みが来るのが嫌だったのを覚えてます。そして1か月くらいたったころ友達になった仲間と今もバンド活動をするくらいの付き合い。また中学校3年生の2学期から新聞配達を開始。高校2年の途中まで続けました。関係ないですが、最初に買ったCDはチャゲアスのSAYYES?やったかな(笑)
高校受験は塾に通い受験勉強した上で県立高校を受験するも失敗。滑り止めで受験した宮崎日大高校総合進学科へ入学。入学を待つ3月の春休み時に悪魔の勧誘の電話が自宅にかかってきて、医歯薬理工コースへの勧誘を受けて私が不在の間に勝手に親が承諾。ここで人生で初めて死ぬ気で勉学と向き合うことになる。担任の森迫先生は人生の師だと思っており、この時がむしゃらに勉強をした(させられた?(笑))時間は私の大きな財産となる。朝は1時間早く登校。帰りも毎日19時20時。土日も返上で登校。このとき切磋琢磨した仲間も一生の仲間だと思ってます。勉強を一緒にしたのはもちろん洋服 音楽などいろんなものをここで知り合った仲間から教わる。進路が決まった後の3年の11月から飲食店でのアルバイトを人生で初経験。居酒屋、レストラン。どちらもホールでの接客、調理を経験。
日本大学工学部工業化学科(千葉県船橋市→福島県郡山市)へ入学し卒業。大学入学時人生最大の挫折を味わう。勉強しても点数がとれないということがしばらく続く。これまでテストの点が悪いときは原因が勉強不足だったため、腑に落ちてたが、大学生の試験に関しては自分なりに勉強してるつもりだが点数が取れないという状況が続き、やる気をなくし、結果遊びサークルとバイトに夢中となり、単位を取りこぼし1年留年しやっと卒業。大学時代も複数のアルバイトを経験。コンビニ 引っ越し、居酒屋、ラーメン屋、、、その中でも最もお世話になったのが、ピザ屋さん。ストロベリーコーンズ安積店でアルバイトでピザ屋さんで3年ほど勤務。デリバリー、生地の仕込み、伸ばし、盛り付けを経験。このとき料理に興味を持つ。
留年したことと、就職氷河期が重なり就職活動は難航。一時はフリーター、無職も覚悟したが無事に地元では名の通ったチェーンドラッグストアの会社に拾っていただき新卒として平成16年入社。入社後は、拾って頂いた恩を返すべく直向きに働き3年で店長をさせて頂きました。また運のいいことに会社も東証一部へ上場。そこからいろいろな土地で働かせていただきました。(鹿児島出水市~えびの市~都城市~宮崎市~児湯郡~大阪市~西都市等)結果約21年勤務。色々なことを学ばせていただきましたが特に、物を売る面白さ、物を売る難しさ、接客の奥深さ、ビジネスの本質等を学ばせていただきました。中でも会社のトップである会長からいただくお言葉はとても勉強になり今も経営で判断に迷ったときに、会長のおっしゃられてた言葉を思い出させていただいたり、推奨されてた本を読み直したりさせて頂いてます。
平成20年 会社の転勤で児湯郡新富町へ引っ越し。
平成22年 結婚。
平成23年 長女を授かる。(ちー坊の誕生)
平成25年 次女を授かる。(夏の誕生)
平成29年 家族と離れて大阪へ単身赴任(令和4年11月迄)大阪ではたくさんの飲食店へたくさん通う。九州はもちろん、関東などの他の地域では見ることのない個性的な店舗や今まで見たことない料理などを堪能。天下の台所と呼ばれる由縁を目で肌で舌で感じました。後半の2年間は勤務地が道頓堀だったため、難波駅周辺で週4~6回外食を行う日々。
令和2年 家族が合同会社すいみーを児湯郡新富町で創業。(事業福祉)この時、自分はまだ前の会社に在籍してたが、独立 起業というものに身近な存在である妻が関わる姿をみて感銘を受ける。同時にこのまま一生サラリーマンとして働く人生でいいのか?自問自答の日々を繰り返す。
令和6年1月 一身上の都合で会社を退社。退社後は自由な生活を満喫するも、世間と触れ合う中今までは会社員の私の時とは明らかに態度の変わる人 役所、親戚を目のあたりにする。ここで初めて自分が無力であることを実感。またサラリーマン時代会社の待遇やいろいろな制度に100%満足しておらず、生意気にも不平不満を持ってたが、初めて雇っていただいてたありがたみを実感。個の自分と向き合う日々。
令和6年2月 合同会社すいみー代表へ入社。(事業 福祉事業)入社しすぐにグループホームすいみー壱号館の責任者を担当しながら社長業を行う。要領が悪く施設のスタッフや利用者様、取引先様に迷惑をかけることも多数。本当にサラリーマンを辞めたことが正解だったのか自問自答する日々。また失業後の手続き等の為ハローワークに行き目に入る求人の条件を見ると44歳である自分が働ける環境は少ないいなあと思う。同時に社長業を成功させなければいけないとこのときスイッチが入る。
令和6年3月 合同会社1040へ社名変更 合同会社1040代表就任。業界の事を勉強すればするほど障がい者を取り囲む環境が整ってないことを認識。会社として何とか力になれないか検討した結果、具体的手段として、2つ目の事業所の立ち上げを試みるが、夜勤スタッフの確保、利用者様の安定的な確保等の問題が先行き起こるであろうと予測し、グループホームではなく就労支援事業所の立ち上げを検討。社内で討論した結果、飲食業の店舗を立ち上げることに決定。しかし今まで正社員としてドラッグストア社員ので経験しかないので不安しかなかったが、背水の陣で開店を決意。
令和6年6月 「ちー坊と夏」開店決定。最初は通常の飲食店として開店し2年以内の就業支援事業化への変更を目指す。佐土原の名店パン屋さん「プチラパンピゲラパン」のオーナーであり佐土原の幼馴染でもある比江島君より飲食業創業のイロハを教わる。トクナガ冷蔵販売の徳永社長と出会いオープン準備を開始。
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